1935年頃創業。
難波二三夫氏が貧乏軒という屋号で始めた屋台が元祖。それから成華公司、徳一番(後にホームラン軒に改称)という屋号でラーメン屋を興し、区画整理による立ち退き等の事情でホームラン軒をたたみ、屋号をホープ軒に改め屋台から再出発。自ら屋台を引きながら貸し屋台業も行い、屋台の貸し先から千駄ヶ谷ホープ軒、土佐っ子、香月を輩出した。
阿佐ヶ谷店は1980年頃にオープンしたと思われる(2014年のネット記事で、外の貼り紙に“ここ阿佐ヶ谷の土地では約35年”とあるため)。
阿佐ヶ谷ホープ軒は、背脂チャッチャ系・東京豚骨ラーメンの始祖と言われるホープ軒の創業者、難波二三夫氏の末娘で、吉祥寺のホープ軒本舗を継いだ二三夫氏の息子・難波公一氏の妹さんが1992年に継ぎ、村山ホープ軒は、吉祥寺と阿佐ヶ谷のご兄妹たちの真ん中の妹さんとその夫が1973年に継いだ。源流は同じだが、経営はそれぞれ独立しているらしい。
ちなみに千駄ヶ谷ホープ軒(と環七丸山ホープ軒)は、先述の通り創業者・難波二三夫氏の貸し屋台出身でホープ軒本舗とは別。野方ホープはその出自から何から全く無関係とのこと。
阿佐ヶ谷ホープ軒は、阿佐ヶ谷から高円寺方面に向かう線路沿いの路地にある。狭い間口の店内は奥に長く、右手に厨房、間に木のカウンター、左手に丸イスが並んでいる。
中に入ると女性二人でまわしている。空いてる席に案内されると、カウンター越しに除菌液を手に噴射される。が、その位置がカトラリーや出された水のコップの付近なので、おやっと思う。
口頭で注文し、丼の提供時に会計。前払いでも後払いでもない、現金引き換え制。
エプロンと三角巾のよく似合う(たぶん)女性店主に仕上げてもらった中華そばは、太麺の千駄ヶ谷ホープ軒系とは異なり、細縮れ麺。背脂もチャッチャと濾しかけるのではなく、スープに混じって浮かんでいる。
チャッチャ系の男らしさというか、粗暴な感じはなく、比較的優しさすらも感じる。おそらく創業者から現店主の娘さんへと経営が変わり、娘さんの考える中華そば像が反映されているのだと思う。
ちなみに阿佐ヶ谷ホープ軒の店主と思われるTwitterのユーザー名はGlamorousRipper。ラーメンよりかなり攻めている。たぶん現役。