昨日より優しいのが良いですか?同じのが良いですか?と問われて一瞬考え、じゃ優しくして下さい。それじゃ優しくしまーす。
昨日は三種類しか見えなかったのが、今日は五種類浮かび上がってきた感じでした。出汁の素が。
今日の方が、より篠原さんの思い描いていたものに近いだろう。
全ての旨味の素が明らかになり、重層的に重なりながらも、その本体を明らかにする様なおいしさ。
こんなのあくまで理屈の屁理屈。ただただおいしい。それで良いではないか。去年の手揉み中華そばより、明らかにおいしかった。それだけは言わせていただきたい。
そうです、本当はおいしいものは黙って食べていれば良いのです。語る必要なし。