日本式担々麺の系譜を巡る旅④ 北京会系担々麺
旨味よりも甘味に頼っている他のご当地担々麺と比べると、中華料理店としての誇りみたいなものを感じる。
ここは餃子や炒飯など、他の料理も絶品なのだ。
やっぱ北京がご当地担々麺の草分けなのかもしれないと思い、いろいろ調べてみると10年前の店主インタビューの記事をネットで見つける。
その中で1949年生まれの店主が「小6か中1の時に両親が新丸子で営んでいた八百屋を親類に譲って隣にあったラーメン屋の営業を引き継いだ」旨の話をしている。仮に12才だとして1961年。これはかなり古い。
同じ記事に56、7年前には今の担々麺の味が確立していたともあるので、先代がラーメン屋を引き継いだ頃にはそこにいた料理人がこの味を作り上げていたという事になる。
ん?
確かニュータンタンメンがオープンしたのが1964年だからそれより前なのか??
気になって更に調べてみると、2019年まで存在した協同組合川崎中華料理北京会という互助会的な組織の存在が浮かび上がる。
北京という名の暖簾分けの店が複数存在していたのか?
この組織にニュータンタンメンの前身が所属していたという記述もあり、真偽は定かではないがとても興味深い。
参考までに川崎市内に北京という店が現存するかを調べてみると、平間駅や高田駅の近くに中華料理店ではなく焼肉の北京が存在し、なんと卵とじ系のタンタンメンを置いている。
でも焼肉なのに北京という不釣合いな屋号、そして北京とは違うニュータンタン的な卵とじ担々麺…うーん…謎。
でも考えてみればニュータンタンメン京町店もタンタンメンと焼肉のハイブリッドである。
北京と五十源の繋がりがぼんやり見えて来た。
ざっくり言うと、新丸子で生まれた担々麺が南の工業地帯側に広がるに伴い、労働者の味覚に合わせつつコリアンテイストが付加された進化が推測出来る。
味付けがザーサイからスタミナたっぷりのニンニクメインに⋯
冷めづらく食べるのに時間がかかる餡かけが、仕事の合間に早く食べられて満足感が高い卵とじに⋯
そんな中で商才に長けた五十源のニュータンタンメンが大成功を収める。
と、ここまでが私の推理。
なんか謎解きみたいで楽しいから、まだ担々麺を掘り下げる旅を続けよう。フッ。