• 四川風辛味噌ラーメン、味玉

  • 知り合いに聞くまでこのお店が中野に移転て知らなかった。駅から向かうとかいかさんの手前。

    昔流行ったスープカレー、と言えばのGarakuさんの横かな?このあたりは出店ラッシュ。

    お店が相変わらず賑やか。前は雑多な若者飲み屋さんて感じでしたがこっちはそれをスタイリッシュに変えた感じ。


    奥には黄色のネオンでgod hand。

    オシャレな黒服が迎えてくれたり、花輪出ていても中野のお昼の一般人が立ち寄る感じでなく空いています。これがラーメン屋さんとは思わないw

    外にラーメンの立て看板はあるのだけれど、お店が中真っ暗なので知ってる人か興味ないとそちらをまず向かない。多分風俗かと思う可能性w 人通りは結構あるのですが。

    No.1という四川風辛味噌ラーメンと味玉を辛さ普通の痺れ増しにします。増しまでは無料。

    しかし待つ間もスタッフ余りで何かご用はないかと見回してて落ち着かないw


    そのうち、ものがきました。

    ベースは軽めの背脂スープでトマト入りかな?というどろっとした味噌。カレー煮詰め目にした感じの固さ。

    辛さは普通だとあとからちょっとくるかな程度。辛さはこれでいいかも。痺れは痺れ魔人的には物足りないw

    麺は幅5-6mm厚さ1.5m.mくらいの縮れ目の玉子麺みたいな。

    丼が意外と鋭角なのかぎっしり麺が入っている。これなら麺量減らしても、という。まぁスープ節約なのかも?

    四川風、というのはシビカラのことなんだろうな。シビの香りがそんな分からず四川て感じでもなく。

    よくない、だろうと思うのは、もやしが例の野方の名店風で浅煎り。ちょっとまだ生臭い。

    味玉は黄身が羊羹(yokan)の固さでトロ味はなく、まぁ可もなく不可もなく。


    問題は、このラーメンが恋しくなるかで、特にならなかったこと。いつも思う事なのだけれど。

    確かにこのラーメンは見た目良くて雑誌に載せるにはいいかもだけれど、このラーメンが地球から無くなったとして悲しむかな、という。

    いいラーメンって、無くなると、特にお店無くなると「うわー、ホントに!?耐えられない」ってなります。が、そのレベルが低い。つまり他のラーメンでもいっか、ってなる。。のが問題。

    何故か食べ終えてこうして書いてる時点で味を覚える事を放棄してるもんね。。


    思うに前のお店もドンチャン飲み屋で若者が使いやすい形だから良かったんだと思うんですよね。

    それが今回はピカピカの真っ黒なお店にシェフとボーイみたいになって果たして使いやすいか、が謎。

    中野のなんて雑多な飲み屋さんばかりなんだから、前みたいに雑多に作れば良かったのに、って。
    (元々こうしたかったんだろうとは思うけど。)


    ならびの牡蠣ラーメンは無くなると困るやつ。今回も中野に来る人にはそれを薦めますが、こっちは薦める順位としては低いなぁ。

    もっと気楽なお店を薦めるかも。気楽でないあれだけの設備でこのエクスペリエンス星3は寂しい。

    というわけで、帰りに外までまた来てくださいとペコペコしてるホールの女の子が可哀想になった感じ。

    まぁ派手なお店ではあるので、早く雑誌かネット記事にしてもらって一度来てもらうといいよねと。

    少なくとも立地面では良く前より人も多いんだから。あとは人が選ぶでしょう。


    雑多な書き込みは以下に。
    #ラーメンWalkerの松本さんの昨日のポスト。色々知る事ができたので皆にも共有したく。

    【支那そばや】
    〜佐野実さんの命日に、想うこと〜

    「ラーメンの鬼」と呼ばれた男がいなくなって、今日で11年が経つ。そして、1986年に彼が創業した「支那そばや」は、今年で40年目を迎える。それでも店はそこにあり、麺を打ち、スープは静かに湯気を放っている。

    40年という時間。ラーメン屋にとって、それは奇跡のような持続であり、敗北の連続であり、希望の延命だ。

    最初は、ただのラーメン屋だったかもしれない。けれど男は、たった1人で、それを文化にしてしまった。全国の生産者を巡り、麺の小麦に神経を尖らせ、スープの食材を語ることに惜しみなかった。

    佐野にとって、ラーメンは芸術ではなかった。芸術よりも衝動的で、繊細で――そして何より、日常だった。

    彼が去ったあと、何も変わらないようでいて、すべてが変わった。それでも、妻の佐野しおりや、昔からの仲間たちは、決して店を閉じなかった。

    名前を守ることではなく、意思を守ることを選んだ。それは容易ではない。誰かの背中を追い続けるということは、自分の歩幅を捨てるということだからだ。

    「数を売るんじゃない、味を売るんだ」と佐野は言った。「客へのお礼は、味で返すものだ」とも言っていた。その言葉の意味を、今の支那そばやは、深く知っている。

    受け継ぐという行為は、まったくロマンチックではない。もっと泥臭く、もっと地味で、もっと血が流れている。けれど、11年経った今も、誰かがその「味」に救われている。

    40年という持続の中で、ラーメンに対する想いだけは、今も、あの頃と、まったく変わらない。

    佐野実という名前は、今も、消えていない。

    それは、彼が有名だったからではない。それは、彼が誠実だったからだ。

    その誠実さが、仲間や後輩たちの手を通して、今日も新たな一杯のラーメンになっている。

    最大限の敬意と、感謝を込めて。


    「安全担保できぬ」修学旅行先を万博からUSJに変更 千葉の中学

    #分からんとかできんとか、そんなの下見して
    分析すればできぬじゃないだろうと思うけど。

    遊園地行くよりいいものがあると(建築物とか)
    テストランで知れている。多分その一流を見て
    進路にしたいという学生も出るのでは?と思う。

    まぁ親に念書書かせたりするのは必須で何なら
    どちらがいいか投票させてもいいよね。令和の
    親が平気で給食費未納とかするテンションなら
    日和った回答が来るかも知れないし。そうなら
    従うしかない。(というか、そんな混雑確率 ≒
    トラブル率高い大阪は今年は回避でいいのにw)


    #中国さん、145%なんて馬鹿みたいな関税を
    掛けられてるけど現場は10%の日本を使って
    迂回輸出する形になってるとか。なるほどw